大規模災害をめぐる国際関係の力学

執筆者:竹田いさみ2011年3月28日

 今回の大地震に対して、これまでに128の国・地域及び33の国際機関などから支援の申し入れがあったという。これらの申し入れをうまく生かすことができたのかどうかについては、もう少し事態が落ち着いた時期に分析することが必要となるだろうが、大規模災害時の国際的な支援は、一筋縄でいかないことが多い。

「軍事禁区」がネックとなった四川大地震

2008年5月、四川省政府から謝意を受ける日本の国際緊急援助隊 (C)時事
2008年5月、四川省政府から謝意を受ける日本の国際緊急援助隊 (C)時事

 四川省、青海省チベット族自治州、雲南省――近年、大地震に襲われた中国各地の地域名である。いずれも沿岸部から遠く離れた内陸部で、今回の東日本巨大地震のように大津波が起きることはなかった。  しかし2008年5月に発生した四川大地震では、死者・行方不明者が約8万人に達し、世界各地から救援の申し出が殺到した。同年8月に控えた北京五輪の3カ月前であり、上海でスタートする五輪聖火リレー開始の直前であっただけに、中国政府の対応の仕方にも注目が集まった。  山々に覆われた四川省は、笹を食すジャイアントパンダ(熊猫)の生息地・臥龍や、世界遺産の九寨溝、さらには三国志関連の歴史文化遺産が多数あることから、香港や台湾を含む海外からの観光客は、1年間に150万~200万人に達し、中国でも有数の観光地として知られる。  これらの山々に隠れるように点在していたのが、人民解放軍の「軍事禁区」である。人民解放軍の基地が密集し、とりわけ核兵器開発関連の高度な機密施設があったことから、一般人の立ち入りを禁止した区域があちこちにあると報道されている。また同年3月に、チベット人が騒乱を起こした少数民族地域とも重なるため、政府による厳戒態勢が続いた。軍の関係者以外による救援活動が制限され、あらゆる救出・救援活動は困難を極めたようだ。このため中国政府は、海外から寄せられた緊急救援や人道支援にも慎重にならざるをえず、海外メディアの現地取材も、ある段階から新聞社は1社1人、テレビ局は1社2人に厳しく制限し、なおかつ公安関係者が同行するという念の入れようだった。大規模災害への人道支援といえども、政治や安全保障の問題が影を落とすことを、まざまざと見せつけた。  日本は官民あげての総力支援体制で、支援物資を満載した自衛隊の輸送機や、海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」の派遣準備を迅速に整えた。中国は韓国に、わざわざ空軍の輸送機による物資の搬入を依頼し、韓国は空軍のC130輸送機を飛ばした。これ以外にも米軍、ロシア軍、パキスタン軍、バングラデシュ軍などが次々と輸送機を飛ばす中で、日本が派遣準備をしていた航空自衛隊のC130輸送機3機だけが、門前払いを食わされた。双方の思惑が一致しなかったことが原因のようだが、結局、日本からは民間機のみを着陸させた。  また毛布や非常用食料を満載した海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」については、受け入れを認めたものの、中国海軍の南海艦隊が司令部を置く広東省の湛江港にひっそりと入港させ、中国の一般市民の目に映ることを徹底的に避けた。歴史問題、対日世論、指導部内での駆け引きなど、さまざまな要因が複雑に交錯するなかで、中国政府は日本からの人道支援の諾否を決めなければならなかった。

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