南スーダンの独立

執筆者:2011年7月13日

 アフリカにまたひとつ国ができた。南スーダン共和国。イスラム化を進めるハルツームの政府に弾圧され、ながいあいだ内戦を戦い抜いた末の独立である。

 スーダンはアフリカでは珍しい古い歴史をもつ。エジプトを支配していたこともあり、ピラミッド遺跡も存在する。エジプト同様ここも「ナイルの賜物」だ。近代になるとオスマン帝国麾下のエジプトに支配され、そこにイギリスが割り込んだ。空洞化したオスマン帝国のなかでエジプトという隠れ蓑を被ったイギリスの支配下におかれ、それに反抗して一時は大英帝国軍を打ち破って独自政権を建てたこともある。マフディー運動というのだが、これを抑え込む戦いがどんどん拡大して、イギリスはアフリカ大陸を縦断することになった。アフリカ分割の出発点はスーダンにあるのである。

 イスラム圏の北アフリカと黒人アフリカの境界線を「スーダニーズ・ベルト」という。「スーダン」とは「黒い」という意味で、その昔フランスはスーダニーズ・ベルトの南側をビラ・ド・スーダン、黒人の国と呼んでいた。ビラ・ド・スーダンには無限の富があるという幻想がフランスをアフリカ侵略に駆り立てた。
 だからいまでもスーダニーズ・ベルトは紛争絡みだ。最大の紛争がスーダン南北内戦だった。これに決着をつけたのが2005年の南北和平合意だったのだが、そしてこれに基づいて今年1月に独立を問う投票がおこなわれ、7月9日の独立にむすびついたわけだけれど、これで戦火が消えたとは断言できない。南北境界に位置する油田の収益をどう分け合うかの結論は出ていない。つい先日もスーダン軍が境界地帯を爆撃している。

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