3.11以後、各国の駐日大使館はナショナルデーのレセプションを控えてきた。その国にとって最大の祝典だが、震災で日本人が苦心惨憺しているとき不謹慎と受け止められかねないとの配慮からだ。
 例えば英国(4月21日)は中止、イタリア(6月2日)は日本在住イタリア人だけを招いた内輪の集まりにとどめた。いつもは最多の招待者を集める米国(7月4日)も規模を縮小した。
 そうした自粛ムードの中、フランスは革命記念日の7月14日、1400人を招いた大々的なレセプションを催した。それも会場は例年のように東京都港区の大使公邸ではなく福島県郡山市内を選んだ。しかも招待者の半数は東日本大震災と原発事故の被災者だった。

岩手、宮城、茨城からも

フランスから駆けつけたミッテラン文化・通信相(写真はすべて筆者撮影)
フランスから駆けつけたミッテラン文化・通信相(写真はすべて筆者撮影)

 この日、郡山市内にある結婚式場には、被災者を乗せたバスが続々と乗りつけた。福島県だけでなく津波で被災した岩手、宮城、茨城各県の市町村長も招かれた。東京からは外交団、両国関係者が駆けつけた。人々が手にした招待状には「日本とフランス、共に明日に向かって」のコピー。  ふつうナショナルデーのレセプションというと、各国大使をはじめとする外交団や、着飾った紳士淑女で華やいだ雰囲気になる。しかしこの日は違った。家族連れの被災者も多く、制服の中学・高校生、消防団のはっぴの一団と、くつろいだ空気が流れた。  夕方5時、両国の国歌で式典が始まり、フォール駐日大使が「被災地と連帯するフランスの意思を示すため郡山を選んだ」とあいさつ。本国から駆けつけたフレデリック・ミッテラン文化・通信相は「日本人のやる気と気高さをフランスに伝えたい。日本は必ず復活する」と述べ大きな拍手を浴びた。フランスでは、革命記念日は閣僚全員がパリにとどまり、大統領とナショナルデーを祝うのが慣例で、ミッテラン文化・通信相は「『日本に連帯を示そう』というサルコジ大統領から直々に了解を得て来日した」と明かした。  来賓の福島県の佐藤雄平知事は「県で開いていただいたことは大変名誉なこと。大きな勇気をもらった」と述べ、一同乾杯した。 「被災者を招いてフランスの連帯感を示したい」と、福島県でのナショナルデーを提案したのはフォール駐日大使だった。フランスは仏外務省での300人規模のチャリティー・ディナー(6月14日)や、日仏両国の芸術家が参加した大掛かりなチャリティーのオークション(同20日)を開くなど、他国の中でも積極的に被災者支援を行なってきた。ナショナルデー開催もその一環と位置付けられた。  ただ仏アレバ社は福島第一原発の放射能汚染水の除染にすでにかかわっており、将来の廃炉などの原発ビジネスをにらんで県など各界との関係を緊密にし、フランスのよきイメージを浸透させたいとの思惑ものぞく。  しかしリスクもあった。原発事故は進行中で、各国が自粛しているときに福島県に乗り込み、祝典を開くことがどう見られるのか。被災者に対して失礼にならないか。最後はサルコジ大統領のお墨付きを得て承認された。

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