独裁者という物語

執筆者:徳岡孝夫2011年9月9日

 これを書いている時点で、リビアのカダフィ大佐は行方が判らない。2、3日前の朝刊には「海辺の町シルテにいるとの情報を、国民評議会側がつかんだ」と書いてあった。シルテはカダフィの生まれた町だそうである。  42年間というもの強気一点張りで押してきた男も、最後は生まれ故郷かと思っていると、その翌日の夕刊には「首都トリポリの南東約150キロのバニワリードにいて、反カダフィ派が町を包囲している」とあった。さらに新しい情報では、軍用車の大車列がブルキナファソヘ行ったという。本稿が出る頃には、カダフィはパリか北京にいるかもしれない。    サダム・フセインが拘束されたときのことを思い出す。生死さまざまの憶測が飛んだが、結局は米ドルのキャッシュを抱えて庭先の穴の中に潜んでいた。義理にも大統領にふさわしい捕まり方ではなかった。独裁者も命が惜しいんだなと判った。  もう忘れてしまった人がいるかもしれないが、1970年代に多発した航空機のハイジャックは、カダフィがトリポリにいたから、たいてい成功した。  赤軍派その他の過激な革命家は、旅客機を乗っ取って罪もない乗客を恐怖の淵に落とし、多額の身代金を要求し、同志の釈放を求めて、ほとんどの場合は成功した。最後に彼らは機長に「トリポリに行け」と命じ、カダフィは無条件で着陸を許した。自由になったハイジャック犯は、カダフィのおかげでレバノンの高原にいる仲間と合流できた。

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