「逮捕」か「殺害」か

執筆者:白戸圭一2011年10月28日

 半年前の話で恐縮だが、国際テロ組織アルカイダの最高指導者ビンラディンが米特殊部隊に殺害されたのは、ワシントンに赴任し、郊外の新居に入居した翌日のことだった。日曜日の夜12時を過ぎたころ、時差ボケと引っ越しでクタクタになったところに上司から電話で「殺害」の知らせがあり、原稿を書くために不案内な街を運転して、未明のオフィスに出勤した。

 勤務先はホワイトハウスの目と鼻の先のビルに入居している。午前1時過ぎだというのに、ホワイトハウスの周りには星条旗を掲げた市民が大勢集まり、歓声を上げていた。見ず知らずの若者からハイタッチを求められ、断れる雰囲気ではなかったので応じたものの、本心ではためらいがあった。多数の市民を殺害したテロリストとはいえ、人の死に歓声を上げることへの抵抗感があった。同じことを感じていた上司は、毎日新聞紙上に「はしゃぐ米国に違和感」という評論記事を執筆した。当時の世論調査では、6割くらいの米国人が殺害に賛同していたと記憶している。

 後日、取材や雑談の中で「殺害ではなく、逮捕して訴追すべきだった」と語る米国人にも会った。しかし、今日の米国の現実は、明らかにテロリストに対する「訴追」よりも「殺害」に傾斜している。
 

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