受難の日々を乗り越えたカンボジアの華人

執筆者:樋泉克夫2011年11月15日

 温州商人といえば最近では超バブル気味の不動産ビジネスから夜逃げ同然に撤退していると報じられているが、温州は日用雑貨の一大生産基地でもある。その温州産のゴザが遠く元の時代に、すでにカンボジアで流行していたから驚きだ。カンボジアと中国の間には長い関係があったのだ。

 カンボジアの都市在住華人は、1970年代半ばのロン・ノル政権崩壊までの間、同郷会や同業会などの組織を軸に結束し、カンボジア経済を押さえていた。一方、共産主義革命の輸出を国是としていた北京は活動家を送り込み、華人社会内部に革命組織を作り上げ、「現地人民の反米救国闘争」を熱く支援した。やがて“民族解放闘争”が勝利しポル・ポト政権が成立すると、華人は「歴史的に長期に亘ってカンボジア人民を搾取した犯罪者」と断罪され、親北京系華人であったとしても例外なくキリング・フィールドに送り込まれた。毛沢東は「華人をカンボジア革命に使ってくれ」とポル・ポト政権に申し入れたとも伝えられる。

 ポル・ポト政権成立前後のカンボジアの人口は700万人余。うち華人は50万人余。ポル・ポト政権下で華人は25万人が惨死し、15万人前後が難民となって海外へ逃れ、10万人余が生き延びた。ポル・ポト政権の時代は、華人にとっても受難の日々だった。

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