11月初めに開催されたG20の主催国フランスのサルコジ大統領は内外でその手腕をめぐる正念場を迎えている。G20では欧州経済危機への包括策が示され、開催国としてフランスは表向きメンツを保ったようにも見えるが、ユーロ危機の解消、世界金融市場の安定への道のりを楽観視するものはほとんどいない。
 一方、すでに6カ月を切った来年4、5月のフランス大統領選挙をにらんだ内政の攻防は激しさを増している。再選を目指すサルコジ大統領は、現職の強みを生かして、大統領としての職務を全うすることこそが最大の選挙キャンペーンであるという立場をとっている。批判を覚悟の上で、年金改革を敢えて今春になって断行し、緊縮策を強調する。実務家大統領のイメージ浸透がその狙いであるが、野党はいち早く大統領候補を決定して攻勢を強めており、愛娘の誕生に喜んだのも束の間、大統領自身としても心中穏やかならざるというところが真相ではないか。

ミッテラン時代は経済政策担当顧問

フランス社会党の大統領候補となったオランド氏 (C)EPA時事
フランス社会党の大統領候補となったオランド氏 (C)EPA時事

 サルコジ大統領にとって、その第1の懸念は言うまでもなく、最大野党の社会党の勢力回復である。10月9日と16日に社会党大統領候補選出のための予備選挙が実施され、決選投票の結果、オランド前第1書記(党代表)が選出された。得票率は56%。大差の勝利であった。  16日夜、社会党本部には、対立候補であったオブリ党第1書記をはじめ、前回の大統領候補であり、事実婚で4人の子供まで設けたかつてのパートナーで今回の候補者の1人であるセゴネル・ロワイヤル、第1回投票で17%を獲得して3位となった弱冠48歳のアルノルド・モントブールら6人の候補が一堂に会した。お互いの健闘を讃えあった後で、オランドは「この勝利は、大統領選挙に備える力とその正当性をわたしに与えてくれた」と力強く語った。  医師の家庭に生まれたオランドは、国立行政学院出身のエリート。在学中から社会党に入党し、ミッテラン大統領時代に経済政策担当顧問を務めたが、コレーズ県で下院議席をシラクと争い敗北。1988年に同県で初当選し、ジョスパン首相に見出され、97年から2008年まで党第1書記の任にあった。経済政策通で、パリ政治学院で経済学の授業を担当したこともある。  この予備選挙はフランス大統領選の候補者選びとしては、初めて実施されたものだった。全国9400以上の投票所で投票が行なわれたが、投票資格は社会党員である必要はなく、1ユーロ以上を払って左派支持を誓えば誰でも投票資格を得ることができた。前回の候補者選びで、社会党内で目立った活動実績もなく、世論調査の人気だけで選出されたロワイヤルが候補者となったことに対する反省から生じた新しい措置であった。それだけに予備選挙の成否は社会党の浮沈をかけたものとなった。  しかし結果は上々であった。第1回投票で260万人、第2回投票では286万人以上の投票者があったからである。事前の予想では投票者が100万人であったことからすると、望外の結果であり、社会党人気は一気に浮揚した。

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