世界を覆う「経済」と「政治」の遊離

執筆者:花田吉隆2011年12月5日

 経済と政治が遊離しつつある。経済は外を向き、政治は内を向く。現在、世界を覆う混乱の多くが、この経済と政治のベクトルの方向が異なることに起因する。
 冷戦終結以降、市場は世界大の規模で統合され、グローバル化が猛烈な勢いで進行した。商品は世界を駆けめぐり、企業は国境の壁に目もくれず工場移転を進める。近年、未曾有の円高により、日本企業で製造拠点を海外に移す動きが進行、国内は空洞化におののいている。
 しかし今やグローバル化が進行するのは商品や製造拠点の話だけではない。労働力もまた、国境の壁を容易に乗り越え、定年を迎えたエンジニアが多く海を渡る。これを日本の技術力の流出として憂える向きも少なくない。日本に限れば、これは憂えるか否かの話かもしれないが、欧州に目を転じれば、労働力の国境を越えての移動はもはや驚くにも当たらないごく当然の話だ。ドイツの医者の多くがスイスで働き、ポーランドの出稼労働者がドイツの労働市場を席巻する。

国境とは何か

 この経済のグローバル化は、しかし、金融の世界で最も顕著な現象となって現れる。金融に最早、国境は存在しない。今や資本は世界を自由に駆けめぐり、資本取引は貿易取引の何倍にも相当する額に達した。投資資金は利ざやを求め瞬時に移動し、リスクを嫌いまた移動する。それが近時、世界のあちこちで混乱を引き起こしていることは改めて述べるまでもない。
 経済は今や国境の壁を容易に乗り越えようとしている。国境は、元々、ウエストファリア体制の下、国民国家の創設と共に作り出された人工的な創造物だ。それがいつまでも生命を持ち続けると考える方がおかしいのかもしれない。21世紀は、片や冷戦という経済の自由移動を妨げていた人工的な国際政治システムが消滅して久しく、片やITという人間が作り出した情報伝達システムが世界を覆う。かくて、経済はかくも容易に世界中を駆けめぐる。
 しかしながら、世界は経済のみが先走った感がある。政治は、と見ると、遥か後方で、経済に追いつこうと必死にもがきつつも未だ旧態を抜け出すこと能わず、混迷のうちにのたうち回っている。

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