インド政府はこのほど、経済改革の柱の一つと位置づけていた国内の「マルチブランド・リテール」つまり、スーパー、百貨店など大型小売業における本格的な外資導入について、正式決定の先送りを決めた。このことは、どんなに筋道が通った政策でも、ある程度の政治力を持った勢力が本気で反対すれば、容易に撤回に追い込まれる、というインドの脆弱な政策予見性、要するに政治リスクをまざまざと見せ付けたといえるだろう。 相変わらずの政経不可分ぶりで、インドの経済政策を読み解くには、複雑怪奇な政治情勢をまず理解しなければいけない、ということを改めて思い知った気がする。
  インド政府は今夏、国内の小売市場について条件付きで51%までの外資を認める方針を決定。国民の3分の2を占める農民の利益や零細商店などへの影響に配慮、さまざまな反対意見を念頭に、「投資額の半分は農村部の倉庫や農道などインフラへの投資を義務付ける」「外資スーパーなどの出店は人口100万人以上の大都市に限定する」「仕入先や販売先の一定割合を中小企業や零細商店とする」など、かなりきめ細かい付帯条件をつけていた。さらに、中央での野党が政権を担当する州の存在も考慮し、「(外資導入の判断は)各州政府にゆだねる」との考えも示すなど、実に用意周到に導入準備を進めてきた。
 だが、これら規制緩和案にはまず国内数千万人とも言われる町の商店主、卸売業者らが猛反対。当然のように最大野党・インド人民党(BJP)や南部タミルナドゥ州で政権を握る地方政党全インド・アンナ・ドラビダ進歩同盟(AIADMK)などもこれに合流した。さらには西ベンガル州野党時代にタタ自動車の工場を州外に追い出したママタ・バナジー州首相率いるトリナムール会議派(TNC)も連立与党の一員ながら反対運動に加わるなど、外資導入の旗色は一気に悪化した。
 反米のイデオロギーから米印原子力協定に反対、2008年に閣外協力を取りやめて連立政権を崩壊寸前に追い込んだインド共産党マルクス主義派(CPI-M)など左翼政党もにわかに勢いづき、このところロープロファイルだったCPI-Mの論客イエチュリー政治局員、カラット書記長らなどが相次ぎメディアに登場して反対論を展開しはじめた。総選挙や各地の州議会選で大敗が続き退潮が鮮明だったとはいえ、商工業者らの労組に大きな影響力を持つ左翼政党の動向は政府にとっても無視できなかった。
 このあおりで11月下旬からの冬季国会も空転続きとなり、12月1日にはインド全国商取引業者連盟(CAIT)がゼネストを決行、主に中規模以上の商店が各地で店を閉めて抗議するなど、小売市場開放にはとてつもない逆風が吹き荒れていた。
 「(小売市場への外資導入は)消費者や、農民にとっては大きなメリットがある」(流通最大手フューチャー・グループのキショレ・ビヤニ会長)というのは疑いのないところだ。小売価格は下がり、農民から買い上げる農産物の数量・価格は上昇が期待できる。複数の店舗による競争が健全に機能すれば、特定企業が価格主導権を握ってしまうこともないだろう。インドの調査会社クリシル・リサーチの予測では、外資導入によって今後5年間で30億ドルの対印投資が見込まれる、としている。
 出店が大都市だけに限定される以上、農村部や中小地方都市の既存零細商店にはさほど影響は出ないと見られ、外資導入で不利益を被るのはもっぱら既存の流通業者、とりわけ「ミドルマン」と呼ばれる卸売りなど中間流通業者ということになるというのが大方の見方だった。この、農民から野菜や果実を集荷して消費地に運ぶ「ミドルマン」は、長年流通ルートを独占し、時には農民の情報不足に乗じて農産物を安く買い叩くなどの悪評も少なくない。
 いち早く小売市場への外資導入に賛成を表明した有力農民組織・インド農業団体連合会(CIFA)のP・チェンガル・レッディ事務局長は「ミドルマンたちはわれわれの血を吸って潤っている。だが、どの政党もわれわれ農民のことを考えてくれない。なぜならミドルマンたちには強大な労組と資金があるからだ」といみじくも指摘している。
 インドにおける外資導入に関しては、よくある「マンモス外資の影響で哀れな零細業者が軒並み失業――」というような単純な構図は当てはまらない。
 洋の東西を問わず、規制緩和や経済改革による利益は拡散してしまい、ダメージは特定の業界に集中しがちだが、日本の特定農家や農業サークルの行動を見るまでもなく、政策を動かせるかどうかは結局のところ政治力の大小にかかってくる。この点で、インド政府は、穏健な7億人の農民と3億人の都市住民ではなく、声の大きい数千万人の流通業者に屈したというわけだ。
 だが、反対運動を繰り広げる既存流通業者や野党勢力はひとつ大事なことを忘れている。たとえ小売外資の参入を食い止めても、タタ、リライアンス、アディティヤ・ビルラやフューチャー・グループなど、国内の有力財閥や大手流通資本はすでに着々と店舗網を拡大しているということだ。
家電量販店首位の「クロマ」やスーパー「スター・バザール」などを展開する最大財閥タタ・グループは今後2016年までにハイパー・マーケット50店の出店を計画中だし、リライアンス・グループはすでにスーパーから靴、家電、カー用品専門店まで約80都市で1500店以上を展開中。「ビッグ・バザール」「フード・バザール」などを擁する流通最大手フューチャーは14年までに90億ルピー(約135億円)を投資し、総売り場面積を300万平方メートル増床する計画だ。
 ミドルマンとその背後にいる政治家たちは、外資より国内企業の店舗展開に反対したほうがはるかに効果的ではないかと思うのだが、抗議行動の矛先はなぜかいつも外資や時の政権に向かいがちで、政治的な思惑も見え隠れする。いずれにせよ、インドのビジネスはやはり一筋縄ではいかないようだ。
(山田 剛)

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