「金正日死亡」後の北朝鮮はどうなるか

執筆者:平井久志2011年12月21日

 北朝鮮の各メディアは2011年12月19日正午、最高指導者、金正日(キム・ジョンイル)総書記が同17日午前8時半、現地指導に向かう列車の中で心筋梗塞により死亡したと一斉に発表した。
 北朝鮮当局は金総書記死亡の速報に続き、①「すべての党員と人民軍将兵と人民に告げる」と題した訃報、②総員232人からなる国家葬儀委員会の名簿、③国家葬儀委員会の公報、④「金正日同志の疾病と死去原因に対する医学的結論書」などを迅速に発表した。死亡2日後ではあるが、1994年7月の金日成(キム・イルソン)主席の死亡時と同じような手続きを踏んだ発表で、北朝鮮の権力構造の安定ぶりを示した。

37年間、独裁者の地位に

平壌の錦繍山記念宮殿に安置された金正日総書記の遺体と対面し、涙で顔をゆがめる正恩氏[20日に放映された北朝鮮のテレビからの画像] (C)AFP=時事
平壌の錦繍山記念宮殿に安置された金正日総書記の遺体と対面し、涙で顔をゆがめる正恩氏[20日に放映された北朝鮮のテレビからの画像] (C)AFP=時事

 最高権力者の病死に解剖を行なったことに疑問を挟む向きもあるが、94年に金日成主席が死亡した際も解剖所見を含む「疾病と死亡原因についての医学的結論書」が発表されており、その前例に従ったものだ。  金総書記は2008年8月に脳卒中で倒れたが、その後健康を回復、精力的な活動を続けていた。今月15日にも金正恩(キム・ジョンウン)氏を伴い平壌市内の音楽情報センターやスーパーマーケットを現地指導したことが報道されていただけに、突然の死であった。  しかし、発表された「医学的結論書」が「心臓および脳血管疾病により長期間治療を受けてきた」と指摘しているように、糖尿病や循環器系の疾患を抱えていたのに最近は飲酒や喫煙を再開しており、これが結局は心筋梗塞を招いたともいえる。  金正日総書記は1974年2月に朝鮮労働党中央委第5期第8回総会で「主体偉業の偉大な継承者」に推戴され37年間、独裁者の地位にあった。金日成主席存命中は、主席を補佐する形で実質的な権力を掌握し、1980年の第6回党大会以降は前面に出て権力を行使。金日成主席は次第に君臨する存在になり、実質統治は息子の手に委ねられた。94年7月に父、金日成主席が死亡してからは文字通りの独裁者の地位にあった。  発表された国家葬儀委員会の名簿では、三男の「金正恩同志」が名簿のトップに置かれ、訃告では「金正恩同志の指導は偉大な領袖金日成主席が開拓し、偉大な指導者金正日同志が勝利へ導いてきた主体の革命偉業を、代を継いで輝かしく継承、完成することのできる決定的な保証である」とし、金正恩後継体制が動き出したことを宣言した。  訃告はさらに「われわれは金正恩同志の指導に従って悲しみを力と勇気に変えて今日の難局を克服し、主体革命の偉大な新しい勝利のためにいっそう力強く戦っていかなければならない」と訴え「金正恩同志の領導(指導)」を強調した。

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