元優等生ハンガリーの転落

執筆者:佐藤伸行2012年1月10日

 ハンガリーの首都ブダペストは「ドナウの真珠」と呼ばれ、夜ともなれば、ライトアップされた「鎖橋」が何とも幻想的な姿を古都の空に浮かび上がらせます。ところが、そんな中欧屈指の「麗しの都」はこのところ、物情騒然といった雰囲気に包まれています。右派のビクトル・オルバン首相(48)が制定を推進した新憲法が1月1日に施行されましたが、翌2日、「オルバン独裁をもたらす新憲法を許すな」と叫ぶ3万人の大規模なデモが市中心部で繰り広げられました。

 こうした政情不安も影響し、欧米格付け会社フィッチ・レーティングスは1月5日、ハンガリー国債の格付けを一段階下げ、投機的水準としました。そしてこの日、ハンガリー通貨フォリントは、対ユーロで最安値を記録し、国債入札も不調に終わりました。米スタンダード・アンド・プアーズやムーディーズも既にハンガリーを投機的水準に引き下げており、かつて中東欧改革国の「優等生」の名をほしいままにしていたハンガリーは今や中欧の、そして欧州連合(EU)の「大問題児」に転落してしまいました。

 冷戦終結後、ハンガリーは民主主義改革・市場経済改革を進め、国を大胆に外国資本に開放することによって改革を成功に導いたとされてきました。しかし、2008年秋のリーマンショック後、国際通貨基金(IMF)から多額の支援を受けざるを得なくなるほど、国家経済の体力は蝕まれていたのでした。大きな政府債務残高、外資依存の経済、双子の赤字という弱点を抱えるハンガリーは金融危機の中で、通貨・株価が暴落しました。当時の左派・社会党政権のジュルチャーニ首相は辞任し、代わってバイナイ首相が緊縮財政に取り組みましたが、民心は左派政権から完全に去っていきました。10年4月の総選挙では、オルバン率いるフィデス・ハンガリー市民連盟と、協力関係にあるキリスト教民主国民党が国会の3分の2以上を獲得する大勝を収め、左派政権に代わる8年ぶりの政権交代が実現しました。貧困層に人気の極右・民族主義政党「ヨッビク・ハンガリーのための運動」も大躍進し、経済危機のハンガリーは急激な右旋回を遂げました。

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