東電「火力発電分離」の意味を考える

執筆者:新田賢吾2012年2月9日
火力発電分離の根拠は何なのか(写真は関西電力境港発電所)(c)時事
火力発電分離の根拠は何なのか(写真は関西電力境港発電所)(c)時事

 東京電力の解体ショーが始まった。公的資金注入に向けた経営形態見直しで、火力発電部門の分離・売却が濃厚になってきたからだ。残る原子力、水力などの発電部門、送配電部門、営業・顧客サービス部門などは社内分社の「カンパニー制」に移行する見通しだ。1951年の9電力体制(復帰前のため沖縄電力は含まれていない)発足以来、日本の電力会社が守り抜いてきた垂直一貫体制が崩れることになる。電力業界の盟主、東電の動きが他電力に波及するのは必至。電力業界の構造は大きく揺らぎ始めている。

経産省の「意趣返し」

 言うまでもないが、東電は福島第一原子力発電所の事故で、巨額の賠償責任を負っており、現在の経営状況ではその負担に耐えられないことは明らかだ。1兆円の公的資金を注入し、実質的に国有化する以外に経営体として生き残る道はない。そのために人員削減、遊休資産の売却、賃金・年金体系の見直しなど経営全般の見直しが進められている。
 だが、なぜ火力発電部門を分離しなければならないのか根拠はまったく不明確だ。東電を賠償責任が果たせる経営体、電力の安定供給を持続できる事業体として存続させるためには火力発電分離はむしろマイナスが大きい。今回の火力発電分離構想は経済産業省の悲願である発送電分離など電力自由化が主たる狙いであり、原発賠償を確実にし、電力の安定供給やエネルギー安全保障をはかろうという考えは欠落している。長年、電力自由化を跳ね返され、煮え湯を飲まされてきた東電を筆頭とする電力業界への経産省の意趣返しであり、発送電分離で生まれる新たな組織を天下り先にしようという邪心にすぎない。

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