香港を「東南アジアの部屋」で扱うのは場違いなような気もするが、これまで香港が東南アジア華人社会の「首都」としての機能を果たしてきたことを考えれば、やはり香港も東南アジアに含めてもいいだろう。2月末、その香港に1週間ほど滞在した。

 河村たかし名古屋市長の南京大虐殺否定発言は香港にも伝わったが、激しい批判を行なったのは中国系紙のみ。たとえば「文匯報」(2月23日付け)などは「日市長否認大屠殺 中方交渉 逐歩升級」「南京与名古屋『断交』 外交部支持」と、一面全体を使って“怒りの拳”を振り上げてはみたものの、「星島日報」、「明報」、「蘋果日報」などの地元有力紙の扱いは限りなくゼロに近かった。「河村発言に一般香港住民の関心は極めて薄い」というのが、何人かの友人の共通した見方だ。因みに、事あるごとに激しい日本批判の社説を展開するタイの有力華字紙「世界日報」も、河村発言には沈黙したまま。

 じつは香港の地元紙が熱く報じているのは、任期満了直前の曽蔭権(ドナルド・ツァン/1944年生まれ)行政長官に降って沸いたように起こった汚職疑惑であり、3月25日に迫ったにもかかわらず混迷の度を加えるばかりの次期長官選挙の行方だ。
 
胡錦濤政権のイエスマン
 
 曽長官は植民地政庁に職を得て以来、着実にポストを重ね、ついには植民地官僚としてはNo.2の財政司に就任。1997年の特別行政区政府発足に当ってもポストは横滑り。2003年春のSARS対策の不手際を理由に、北京のトップに座った胡錦濤主席から詰め腹を切らさせる形で辞任した董建華の後任として05年6月に長官に就任している(05年3月-6月は長官代行)。当時、董は前主席の江沢民系だったことで胡から嫌われクビを斬られた。北京の権力闘争が香港を巻き込んだと見られたのである。

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