またケネディ家の子

執筆者:徳岡孝夫2012年3月16日

 よく名の知れた政治評論家が2人、ラジオに出て、政局の話をしていた。聞くともなしに聞いていると、どういう脈絡か忘れたが、話は逸れてジョン・F・ケネディ大統領の就任演説になった。 「ああいう名演説をしてくれる政治家が日本にいたら……。私はそのとき小学生でしたがね」 「私など幼稚園でしたよ」  軽い笑いを挟んで2人の会話は元に戻った。そんなチンピラが評論家やっとるのか! 聞いている私は唖然となり、その後の対談が耳に入らなかった。  1961年1月、初めて米国に誕生した20世紀生まれの大統領ケネディがワシントンの議事堂前の演壇で就任演説をしたとき、私はすでに社会人だった。  新聞記者を一時休職してニューヨーク州北部の大学院に留学中で、オハイオから来たルームメイトと一緒に寮の集会室のテレビを見ていた。  ワシントンは快晴だったが、前夜からの記録的な雪で、式に欠席や遅刻した人が多かった。  詩人ロバート・フロストは自作の詩を朗読し始めたが、まぶしい日差しで、自分の字が読めない。リンドン・ジョンソン副大統領がテン・ガロン・ハットを脱いで影を作り、フロストは辛うじて読み終えた。また代々のケネディ家と親しいクッシング枢機卿が演説中に世界の危機に言及し「人類が英知をもって当たらねば世界は地獄の火に焼かれるであろう」と言ったとき、彼の足元の床からモクモクと煙が噴き出した。すわ世の終末かと世界中の視聴者が緊張しメカニックが走り回り、まもなく煙は演壇下のテレビ中継用ケーブルのショートと分った。

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