マリのクーデターの衝撃

執筆者:白戸圭一2012年3月23日

  サハラ砂漠以南のアフリカの多くの国は現在、一応は複数政党制の下に選挙で大統領と議会与党を選出する「民主主義国家」である。北朝鮮や中国のような一党独裁国家は、アフリカにはもはやほとんど存在しない。

 だが、アフリカ政治が抱える問題の本質は、複数政党制という制度の有無にはない。多くの国では、複数政党制下で選挙が実施されても、野党勢力は候補者擁立の段階から様々な形で嫌がらせを受け、選管はしばしば与党側に買収されている。与党は二重投票を画策し、野党支持者の投票はしばしば暴力や威嚇によって妨害され、開票段階では与党候補の票の水増しが行われる。こうして実質的には独裁者に近い国家元首であっても、複数政党制下の選挙という「儀式」を経ることにより、対外的には「民主的に選出された大統領」として正統性を獲得する。1990年代以降、アフリカ各地でこのような民主主義の形骸化とでも呼ぶべき現象が観察されている。

 そんなアフリカで、西アフリカのマリは複数政党制が実質的に機能している数少ない国家であった。1960年代から続いた軍政は91年に打倒され、92年の選挙で民政移管が実現した。2012年3月21日現在、一院制の国会(定数147)で過半数を占める政党は存在せず、アフリカでは極めて稀な連立政権が存在してきた。
民政移管後の92年6月から2期10年、アルファ・ウマル・コナレ氏が大統領を務めた。同氏は3選禁止の憲法を順守し、退任後はアフリカ連合(AU)の委員長として、欧米諸国と協力関係を深めながらアフリカに民主主義を定着させることに尽力した。02年からはアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ氏が大統領を務めていた。

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