震災後フランスから届いたバラ「KIZUNA」の物語

執筆者:大野ゆり子2012年4月13日

 今年2月末、南仏からやってきた新種のバラの苗木が、長野県と静岡県でサーモンピンクの見事な花を開かせた。バラは気候や土質によって、まるで人間のように、花容が変わるという。燦々と輝く南仏の太陽のもとで育まれたオレンジ色でフルーツのような強い芳香のバラは、日本では上品で、奥ゆかしく、見る者を慰めるような優しい色合いと香りを持つ花となった。「KIZUNA」と名付けられたこのバラが普通のバラと異なるのは、美しい花を通して被災地に思いを寄せる「チャリティーローズ」の使命を帯びていることだ。
 チャリティーローズとしては、「プリンセス・オブ・ウェールズ」の名を冠したバラが、ダイアナ妃が生前行なっていた慈善事業に売り上げの15%を寄付している事例がある。しかし今回の「KIZUNA」のように、本来であれば、バラに関する権利を持つ育種家がロイヤリティーを一切受け取らず、100%寄付するというのは、過去に例を見ないものだという。これを受けてバラ苗生産者は売り上げの20%を、切バラ生産者は親株一本につき150円をNPO法人日仏チャリティーローズ「絆」(準備会)に寄付する。

復興のシンボルに

(c)Miho Mori

 この支援は、まるでバラ作りのように、時間をかけ、丹誠をこめ、被災地への思いを滋養に、ゆっくりと大地に根を下ろすプロジェクトである。  発足のきっかけは、フランス・リヨンにあるオールドローズ協会という、珍種や絶滅の危機に瀕しているバラの保護を目的にしている協会の会長が、震災後に、日本人会員の森美保さんの安否を気遣い、被災した日本に何かできないかと申し出たメールだったという。  同業者と「こんな時こそ花の力が必要なんじゃないか」と話していた森さんは、フランスに復興のシンボルとなるバラを贈ってもらい、そのロイヤリティーを被災地に寄付するというプロジェクトを思いついた。  リクエストを受けたフランス側では、5代続くバラの名門育種家ギヨー氏の一族であるドミニク・マサド氏が、自ら生み出した新種のバラを、パテントも含めて100%寄付することを快諾。森さんとバラ栽培家の名本久臣さんは相応しい苗を探すために渡仏、昨年10月に品種を決定し、大苗は12月に日本に到着した。  マサド氏の高祖父は19世紀に日本から渡ったノイバラの種子から新交配種であるPolyanthaバラを誕生させたジャン=バティスト・ギヨー氏。160年の歳月を経てギヨー氏の子孫が作出した新しいバラは「KIZUNA」と命名され、2011年の暮れにフランスから日本の地に渡り、バラをめぐる日仏の運命の絆は、震災を機に再び強く結ばれた。  2月末に花開いたのはこの苗だ=写真=。現在は、切り花用のバラの栽培の元になる苗が作られており、東京の生花市場、世田谷市場から本格的に出荷されるのは来年秋頃の予定。森さんは、「バラを育て、それを被災地の復興に役立てるためには時間がかかります。しかし、時間がかかるからこそ、皆さまの記憶から大震災を忘れることなく、美しく咲いた『KIZUNA』を見て、長く記憶に留めていただけるのではないか、という願いを込めています」と話す。

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