落ちたロシア機

執筆者:徳岡孝夫2012年6月15日

 いまから67年前の5月7日、アドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツは、東から迫るソ連軍に首都ベルリン市内まで押し込まれ、ついに連合国に対し無条件降伏した。ロシア人にとって、それは愛するロシアの歴史に書き残す祖国解放の瞬間だった。  今年の5月7日、モスクワの晴れ渡った空に31発の礼砲がとどろいた。ウラジーミル・プーチンがクレムリンに入ってきた。3度目の大統領としての就任演説の中で、彼は祖国ロシアの栄光のために尽くそう、ユーラシアが誇る国になろうと国民に呼びかけた。  5月初旬、長く厳しい冬から解放されたロシア人は、自らの力を信じ明るい未来を待ち望む季節を笑顔で迎えた。    その5月の9日、インドネシアの西ジャワ、首都ジャカルタに近い空港をロシア製の旅客機が飛び立った。冷戦時代に多くの軍用機を製造して米国に対抗してきたスホーイ社が、自信をもって送り出した中距離旅客機スーパージェット100だった。軍用機の世界ではソ連時代から定評のあるスホーイ社が、民間機の分野にスイッチして仕上げた名機だ。  航空業界の関係者、ジャーナリストらを乗せ、女性の客室乗務員1人も積んで、スーパージェットは滑らかに飛び立った。デモンストレーション(展示)飛行は、50分ほどで済む予定だった。

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