7月1日に行なわれたメキシコの大統領選挙は、事前の予想通り、中道PRI(制度的革命党)のペニャ・ニエト前メキシコ州知事が得票率38%で勝利を収めた。32%で2位に着けた中道左派PRD(民主革命党)のオブラドル候補は12日、「有権者500万人に票の買収があった」として、前回同様、連邦選挙裁判所に選挙の無効を訴えたが、330万票と票差は歴然としておりPRIの勝利は揺るがない。メキシコ革命の後、71年間にわたり1党支配体制を築き、2000年に政権を明け渡したPRIが、12月1日の新政権の発足で政権を奪還することになる。

 与党中道右派の国民行動党(PAN)から立候補したバスケス・モタ元教育大臣は25%と3位に甘んじ、「マチスモの国」で初の女性大統領誕生とはならなかった。民主化後の12年間のPAN政権下での政治経済の停滞と治安の悪化が敗因の全てを物語っている。とくに6年前カルデロン政権が麻薬カルテルとの全面戦争に踏み出して以来、犠牲者は市民を巻き込み6万人に上り、なお出口の見えない暴力の拡大への批判が決定的であった。

 麻薬戦争の泥沼化はPAN政権だけに責任を帰すことはできない。カルテルとの癒着はPRI体制下で構造化されたもので、強硬策に出たカルデロン政権はいわばパンドラの箱を開けたに過ぎない。バスケス・モタ候補は、麻薬組織との癒着や腐敗の構造、権威主義政治などPRI体制(PRIから分離したPRDを含む)への回帰に警鐘を鳴らして支持を取り付けようとしたが、PAN政権に対する批判の流れに抗することはできなかった。
カルテルと政府軍の戦いのみならず、セタ、シナロアの2大カルテルの抗争が激化する中で、斬首や吊るし首等の見せしめの殺害は残忍さと凶悪の極みを呈しており、その影響は北部シウダフアレスのみならず観光地を含め広域に広がり、市民生活を恐怖に陥れ、メキシコの国際イメージを損ねてきた。こうした状況に有権者は変化を求めたのである。

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