昔からの汚染と除染

執筆者:徳岡孝夫2012年8月21日

 マリ・キュリーは1867年、ポーランド(当時はロシア領)に生まれた。フランスに移り、1903年に、女性として初めてノーベル物理学賞を受け、さらに1911年にノーベル化学賞を受けた。これも初めての快挙だろう。1934年に白血病で亡くなった。66歳だった。    ノーベル賞と聞くと現代人は身近に感じるかもしれないが、明治維新の前年の生まれと知ると「へぇー、そんなに昔の人なの」と、一転して意外に思うだろう。  キュリー夫人授賞の最大の理由は、言うまでもなくラジウムの発見(1898年)であった。暗所で青白い光を放ち、同位体と放射性を持つ元素。それは、折から文学、美術、建築、音楽などの新しい波に洗われていた(やがて1914年の第1次世界大戦勃発によって吹っ飛ぶが)フランスのbelle epoque(美しく優雅な時代)に相応しい、華々しい発見だった。  目覚まし時計から口紅まで、ラジウムを使った新製品が、先を争って市場に出た。これまでは夜中に目が覚めれば、枕元のスタンドを点け、何時かを時計で見なければならなかった。ラジウムで文字盤の数字を塗った目覚まし時計なら、ちょっと持ち上げて見るだけで何時何分かが分った。

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