フランスでは、今からちょうど20年前の1992年9月20日、マーストリヒト条約(EU条約)がかろうじて国民投票で批准された(支持率51%)。同年6月にデンマークが国民投票で批准を拒否したことから、当初は欧州統合の牽引車役を自負していたミッテラン仏大統領が、国民投票で圧倒的な支持を得ることで、フランスの統合への威信を示そうとした試みであったが、投票日が近づくにつれて支持率が降下、一時は批准そのものも危ぶまれた。ドイツ憲法評議会での合憲判決によって翌年11月に発効したが、「小さな支持(プティ・ウイ)」とも揶揄された。

 何はともあれ、2009年末に現在のリスボン条約が発効してその役割を終えたが、通貨統合のその後の段階的発展の道筋を決定し、政治統合の先駆けとしての共通外交安全保障条約などを採択して、今日の欧州統合の大きな一里塚となったのがこのマーストリヒト条約であった。

 ユーロ圏の国民は、今この条約の遺産に苦しんでいる。この条約には共通通貨導入の条件として財政赤字率が国民総生産の3%以下という厳しい条件が最初からつけられていたからである。緊縮財政による経済再建を厳しく迫られているギリシャやスペインなどの南欧諸国に、この条約以来のユーロ圏・EUの財政政策は大きな足かせとなっている。

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