トルコの第8代大統領、故トゥルグト・オザル氏の遺体が墓所で掘り起こされ、国立法医学研究所で解剖された。毒物検出の有無など、死因を特定し、約3カ月後に検視報告書が発表される見通しだ。

 実はこの動き、単なる殺人疑惑解明作業などではない。現在、米国寄りの戦略・政策をとり、シリア内戦でも主要な役割を演じているトルコの行方を左右するほど重大な動きにつながる可能性がある。

 オザル元大統領は1983年総選挙で勝利して首相に就任、その3年前から続いていた軍政を民政に戻し、西側寄りの政策を実行して本格的に自由市場経済を導入、非合法クルド人政党、クルド労働者党(PKK)と停戦、湾岸戦争では米国主導の多国籍軍を支持した。現在の共和制トルコの建国の父ケマル・アタチュルク以来の「中興の祖」と呼べるほどの重要な役割を果たした。

 しかし、首相から大統領に就任後の1993年4月、心臓疾患のため65歳でアンカラの病院で死去した、と伝えられていた。

 今年6月、家族らの訴えを受けて、オザル氏の死亡診断書や血液検査結果が行方不明で、死因に疑問がある、との報告書をギュル大統領が提出、検視が行われることが決まった。 オザル氏は首相在任中の1988年、与党の大会で右翼のガンマンに撃たれ、指をけがしたことがあった。2年前には、軍部と深い繋がりを持つ右翼地下ネットワーク「エルゲネコン」に暗殺されたのが真実、と実弟が発言し、問題化したこともあった。

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