領土問題とナショナリズム

執筆者:平野克己2012年10月17日

 時勢柄キナ臭いテーマだが、アフリカとつきあうなかで考え続けてきたテーマでもある。

 アフリカ大陸の国境線がなんだか変であることには、近代アフリカ史を勉強し始めると誰もが途端に思い至る。その理由を、19世紀末のベルリン会議でアフリカが植民地分割された経緯から知るのである。つまり、アフリカの国境線はもともとは植民地分割線であって、アフリカ人の社会とも国家とも関係ないのだ。サブサハラ・アフリカで最初に独立を勝ち取ったガーナのンクルマ初代大統領は、こんな国境は全廃して「アフリカ合衆国」を作ろうと主張していた。パンアフリカニズムである。アフリカ合衆国構想は早々に挫折したが、現在のアフリカ連合の前身「アフリカ統一機構」は、パンアフリカニズムへの配慮から「統一」の名を残していた。

 小国に分裂して独立してのちのアフリカでは、国境問題には触れないのが不文律だった。それでも西サハラ紛争が起こり、エリトリアが独立し、南スーダンが独立した。旧植民地内での国民創生(nation building)に失敗して、新しい国家ができたわけだ。アフリカには、パンアフリカニズムの理想に反して、統合より分裂の基調が働き続けたのである。アフリカ人社会においてはナショナリズムとトライバリズム(部族主義)の境界が微妙だ。同じ部族といいながら、数百人の集団もあれば、国家をもっておかしくはない数千万人の集団もいる。
一方で、サハラ砂漠には国境線に関係なく横断貿易を続けているヴェドインたちがいる。人々の生活形態が国単位になっていないから、国境の意味はあまりない。こういうところにテロ組織が根付いてしまうと否応なく国際的な対策をとらなくてはならなくなる。
つまりアフリカでは、人の帰属を争うトライバリズムが国家創生(state building)のナショナリズムとして機能し、人の居住がまばらな地域は、えてして国の負担になっている。

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