シェールガス革命で、ホルムズ海峡の地政学的意味が変わる(イラン海軍の演習風景)(C)AFP=時事
シェールガス革命で、ホルムズ海峡の地政学的意味が変わる(イラン海軍の演習風景)(C)AFP=時事

 エネルギー、安全保障、経済復興は、第2次大戦後も一体としてあった。そして米国は、この視点から中東との関係をその都度構築してきたといってよい。しかし米国の関与能力と関心は、21世紀に入ると大きく変化せざるをえなくなった。対イラク戦争はG・W・ブッシュ大統領が、アフガニスタンでの戦争はバラク・オバマ大統領が踏み込んだものだが、いずれも勝利宣言もなく撤兵の手続きに入らざるをえなかった。そしてこの10年間に米国の財政赤字は膨れ上がり、2011年の夏には2013年以降の財政支出について強制没収(sequestration)の手順に入る取り決めを一旦は結ばざるをえないほどの窮状に陥った。財政の崖の回避は第2期に入ったオバマ政権にとっての最初の試練だが、中東への関与能力そのものが揺らいでいることは間違いない。こうした中で、米国の中東への関与関心に大きな影響を与える「衝撃」が生じた。シェールガス革命である。

第2次大戦後の米エネルギー戦略

 伝統的な天然ガスの採掘条件とは合致しない、従来は商業的には不可能とされていた場所からの採掘によるシェールガスは、ごく短期間のうちに世界のガス需給を一変させるほどの影響力をもつに至った。結果として、米国の原産地でのガス価格は、欧州の5分の1、日本の7分の1程度にまで低下した時期もある。埋蔵量も十分であり、米国では石炭火力からガス火力への転換、そして原子力発電所への投資を抑制する効果まで発揮している。安全保障の視点からは、アメリカズ(南北アメリカの全体)におけるエネルギー自給が見通せるほどの状況をも生みつつある。19世紀前半以来の「モンロー主義」の再現はありうるのか、という問題提起も荒唐無稽とは断じきれないほどだ。
 第2次大戦が終わってみると、米国の生産能力は世界で突出していた。西欧と日本の経済復興がなければ、世界経済は歪なまま、不安定性が属性となりかねない状況であった。
 このときオイル・メジャーズと米国政府の世界把握は重なり合った。メジャーズは、次々と発掘が進む格安な中東原油を西欧と日本に流通させる作業に踏み出した。他方で米国政府は、米国一国内での原油の生産と販売とを合致させる価格帯の模索に入ったのである。米国のエネルギーの対外依存度を極小化させるとともに、相対的な高値で米国内の原油発掘への投資を刺激するという策である。結果としてエネルギー価格は西欧と日本とでは相対的に安く、米国では逆に高くなった。しかしこれは世界経済のリバランシング(不均衡からの回復過程)の条件づくりともなった。東西冷戦に勝利する西側としての枠組みづくりでもあった。
 そして、1970年代の2度の石油危機は、石油消費国としての米国をも追いつめることになった。ここから、サウジアラビアに代表される、OPEC(石油輸出国機構)の穏健派としてのアラブ湾岸諸国に対する米国の外交努力が本格化した。イスラエル国家の維持と安定的な原油の確保とが米国の中東外交の基本に据えられたのである。

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