旧ユーゴ「長きにわたる反目」を解きほぐす演奏会

執筆者:大野ゆり子2013年1月24日

 クロアチアから友人が久しぶりに訪ねて来た。20数年前にザグレブに住んでいたころに、毎日のように一緒に食事をし、お酒を飲んだ仲間たちだ。友人たちの暮らしぶりも長いトンネルを抜け、自信と希望に溢れている感じがした。

 

そりが合わない「異母兄弟」

 地中海を挟んでイタリアとちょうど反対側の海岸線を持ち、風光明媚なクロアチア観光は日本でも人気だそうで、ネット検索でも200万近いヒット数がある。首都ザグレブはウィーンにちょっと似た町並みで、地中海で取れた魚介が市場で安く手に入り、トルココーヒーの香りが町中に漂う美しい都市だ。

 私が初めてこの町に来たのは、1991年の6月、ちょうどクロアチアがユーゴスラビア連邦政府に対して独立を宣言したときだった。当時は、国中がナショナリスティックな祝賀ムードに包まれていた。クロアチアとセルビアは、言ってみれば、育ってきた環境が違うので、そりが合わない異母兄弟のような関係にある。

 宗教的には共にキリスト教ながら、セルビアはセルビア正教でクロアチアはカトリック。セルビア語とクロアチア語は単語の発音や表現が似ていて、極めて近い言葉でありながら、表記法はクロアチア語がラテン文字、セルビア語がキリル文字。歴史的にもハプスブルク文化の影響下にあり、西側に近いクロアチアと、400年間オスマントルコ帝国の支配下にあったセルビアは「国民性があまりにも違う」と多くのクロアチア人が言っていた。

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