「長嶋ジャパン」の怪

執筆者:2004年10月号

 いささか旧聞に属す話だが、だれに気兼ねをしているのか大手のマスコミがあまり指摘していないので、ここで書く。日本国民を寝不足にさせるほど興奮させたアテネ五輪の日本の活躍の中で、唯一の汚点ともいうべきものが「長嶋ジャパン」である。プロ野球のスター選手をそろえ、金メダル獲得が当たり前のように言われていた長嶋ジャパンは、オーストラリアに予選リーグと決勝トーナメントで二度も敗北を喫し、銅メダルに終わった。 問題はその成績ではなく、「監督」という指揮官不在のまま五輪にのぞんだということである。ダッグアウトに長嶋茂雄氏のユニフォームを吊るし、選手がそのユニフォームに触れてから試合にのぞむさまは、なにやら宗教の儀式のようであった。長嶋ジャパンと書かれた国旗には長嶋氏が不自由な手で書いた「3」の字。断っておくが「蠅」子は長嶋嫌いではない。アンチ巨人でもない。しかしながら、脳梗塞で倒れた長嶋氏がアテネに行けないほどの状態にもかかわらず、回復が五輪に間に合いそうな情報を振りまいて時間稼ぎをし、揚げ句、監督不在となったのはいかにもぶざまだった。 ヘッドコーチの肩書のまま指揮をとらされた中畑清氏には気の毒だが、巨人時代の短い打撃コーチ程度の経験で、一級のプロ集団の指揮をとれという方が無理というものだ。「長嶋監督」で登録したために、ベンチ入りするコーチが一人少なくなった。コーチは三人しか登録できないからで、仮に「中畑監督」でももう一人コーチを送り込めたのである。

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