監督と暴力とド根性

執筆者:徳岡孝夫2013年2月8日

 どこにでも転がっている名ではないから、高齢の読者の中には「ああ、ハムロさんね」と、即座に気付かれる方があるだろう。

 1936(昭和11)年のベルリン・オリンピック。水泳・200m平泳ぎ男子決勝。貴賓席のアドルフ・ヒトラー総統の目の前でドイツ選手と大接戦のすえ勝って金メダルを射止めた葉室鉄夫(1917-2005)のことである。

 

 ハムちゃんは競技人生を終えた後、毎日新聞(大阪)に迎えられ運動部の記者になった。撫で肩で体全体が魚のような流線型をしていた。性格温厚、いつもニコニコ微笑している方だった。原稿も巧かった。「お茶でも飲んでいかない?」と誘われ、私は高石町のお宅を訪ねたことがある。

 敗戦後まもない日本のスポーツ界に登場した英雄は、文句なしに古橋広之進だった。400m、1500m自由形ならどっちでも来い。必ず勝ち、しかも泳ぐたび世界新記録を更新した。彼が渡米して戦勝国アメリカの選手と競って勝つ。その快挙が当時の日本人をどんなに奮い立たせたか、いまの人には想像できないだろう。

 

 その英雄・古橋が大阪に来て、扇町プール(屋外)で日米対抗試合をした。運動部からは、もちろん葉室さん、社会部からも取材に行った。

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