瞬く間に大統領になった「ユドヨノ」の実像

執筆者:黒瀬悦成2004年11月号

険しい前途が予想されるインドネシアのユドヨノ次期大統領。十月二十日には新政権の陣容が発表されるが、切り札となるのは誰か。[ジャカルタ発]九月二十日、インドネシア史上初めて実施された、国民の直接投票による大統領選挙は、現職のメガワティ大統領を政権の座から引きずりおろし、同大統領のもとで筆頭閣僚の政治・治安担当調整相を務めた元国軍幹部、スシロ・バンバン・ユドヨノ氏(五五)を第六代大統領に選んだ。得票率は六〇・六%。地滑り的勝利で国民の信任を得た同氏はしかし、わずか一年前は海外はおろか、国内でも知名度は決して高くはなかった。当時はむしろ、「メガワティ氏続投」で政界筋の見方は一致していたほどだ。「ユドヨノ大統領」の誕生を運命づける一瞬があったとすれば、それは、二〇〇四年三月十一日をおいてほかにない。当時調整相だったユドヨノ氏はこの日、メガワティ大統領に辞表を提出したと発表。理由は、メガワティ氏による「いじめ」だった。ユドヨノ氏は、二〇〇二年十月のバリ島爆弾テロを契機に治安担当閣僚としてテロ対策を陣頭指揮し、「頼れる指導者」との評価が定着し始めていた。 しかし続投に執念を燃やすメガワティ氏は、ユドヨノ氏の存在が疎ましくなり、「大統領選に出たければ、さっさと辞任せよ」と通告し、閣議にも呼ばなくなった。ところが、いざ辞めてみると国民の判官びいきはユドヨノ氏に集中。四月の総選挙(国会定数五百五十)で、メガワティ氏率いる闘争民主党は百五十三議席から百九議席に激減したのに対し、ユドヨノ氏を大統領候補に推す新興勢力の民主党は一気に五十七議席を獲得し、「ユドヨノ旋風」に火が付いたのだ。

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