九月二十七日午後二時過ぎ、衆院第一議員会館六階の一室。部屋の真下に見下ろす首相官邸に改造内閣の閣僚が続々と呼び込まれる中、福田康夫氏(六八)は来客と話に興じていた。福田氏は時折テレビの画面に目を移す程度で、改造そのものが関心の外という風情だった。小泉純一郎首相(六二)の指名を受けて首相官邸に行くことがないことを誰よりも知っていたからである。 故・保利茂氏の官房長官在任記録を抜き、最長記録保持者に躍り出て間もない五月。福田氏は突然、発覚した年金未納の責任を取って辞任すると発表した。折しも七月の参院選を目前に小泉首相の再訪朝の日程が固まったばかり。永田町では経緯を知らなかった福田氏の「抗議の辞任」と囁かれ、福田氏もそれを積極的に否定しなかったことから「首相との関係は終わった」と噂された。「福田外相」の観測も飛び交った今回の改造内閣に名前がなかったことで、噂は半ば裏付けられたといっていい。 故・福田赳夫元首相の長男である康夫氏は、麻布高校、早稲田大学政経学部を卒業し、丸善石油(現・コスモ石油)に入社。その後、赳夫首相の秘書官に転じ、一九九〇年の衆院選で初当選した。当選五回の中堅議員だが、六十八歳という年齢はベテランの域に入る。

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