なぜ、アン・リーが日本に現れないのか

執筆者:野嶋剛2013年3月20日

 台湾の映画監督・李安(アン・リー)が撮った「ライフ・オブ・パイ」が現在日本でも上映されている。2月に発表された米アカデミー賞で李安は2005年の「ブロークバック・マウンテン」に続く監督賞を受賞した。アジア人の映画監督として恐らく過去最高の栄誉を世界から与えられた映画人と言っていいだろう。

 李安の作風は必ずしも一貫していない。逆に言えば、一作ごとに前作を踏襲しない作品を我々に見せてくれる。「グリーン・デスティニー」はいわゆる中国の武侠劇のスタイルだった。「ブロークバック・マウンテン」はゲイの人々の愛の姿と悲しみを描いた現代ドラマ、「ラスト、コーション」は中国の近代史を扱った。そして今回の「ライフ・オブ・パイ」ではSFと3Dにチャレンジした。

 しかし、私が思うに、李安には常に新しい題材に挑みながら、一貫して追及しているものがある。それは、組織や社会に必ずしも適応しきれない生き方を選ぶ人間の方が、豊かな精神や体験を得ることができる、という普遍的なテーマだ。

 李安の経歴を調べると分かってくるところがある。李安の父親である李昇という人物は江西省出身の教育者で、1949年の国民党台湾撤退と同時に台湾に一家で移り住み、李安は1954年に台湾で生まれた。馬英九総統もそうだが、李安も台湾におけるいわゆる「外省人第二代」である。外省人の第二代の子供たちは学校で台湾の本省人多数の中で成長し、常に自分について「外部の人間」という意識を持つことを運命づけられている。外省人の中には経済的、社会的に有利な立場にある者もいて、本省人に対する差別構造があったことは確かだが、一方で、外省人の多数を占める警察官や教師、軍人などは給料の安い公務員であった。いずれにせよ、李安のように感受性の強い人間は、小さいころから自分の立場を強く意識したことだろう。過去のインタビューで李安は「自分は常に『局外人』だった」と成長時の心境を語っている。中国語で「局外人」とは、部外者といった意味がある。

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