イラクの歩みを報じるアラビーヤの登場

執筆者:池内恵2005年1月号

 二〇〇四年四月の日本人人質事件の際、「アル=ジャジーラ政局」と一部で呼ばれたほど、カタールの衛星テレビ「ジャジーラ(Al-Jazeera)」の名は日本でも定着した(アラビア語のAlは英語のTheに相当するため本稿では省略する)。アラブ世界のメディアと政治的言説に大きな変化を迫った点でジャジーラの功績は大きい。しかし、その可能性とともに限界をすでに露呈し、変質を始めている。ジャジーラの登場に触発され、各国で衛星テレビ局が続々と誕生した。こうした構造変動の中で、相対化されつつあるということだろう。 ニュース専門局としてのジャジーラの限界は、結局のところアラブ諸国の内政報道に関して、従来の統制の壁を越えられなかったところにある。支局閉鎖や特派員追放といった措置を繰り出す各国政府との折衝の中で、次第に矛先が鈍り各国の政治に関する報道では差異を示せなくなっている。結果的に、自由に取材できるのは欧米、比較的自由なのがイラクとイスラエルとなり、コンテンツ(情報の中身)不足を武装勢力の扇動・脅迫声明の放映で補うことになってしまっている。 また、国際的な注目を集め、その報道姿勢や意義に関する検討がなされるうちに、ジャジーラの「客観性」の主張自体に多大な制約があることも認識されるようになった。中立性や客観性の欠如についての批判に対するジャジーラ側の反論は、「欧米も偏っている以上、こちらも偏ってよい」「欧米が偏っているにもかかわらず客観性を主張する以上、こちらも客観性を主張できる」といったものだ。欧米中心の国際ニュース報道体制の限界を超える普遍性は期待できず、アンチテーゼとしての立場に終始している。

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