四川・重慶からラオスを経てカンボジアへ向かうルートがあったとは、やはり現地を歩いてみなければ体感できないことだろう。ところで“熱帯への進軍”の主要ルートである雲南とミャンマーの間では、いったい何が起きているのか。それを知りたくて昨年のゴールデン・ウィークに雲南省西部からミャンマー国境までを歩いた。いま、改めて現地における印象を振り返ってみたい。

 確かに1年前の旅行ではある。だが、歴史的背景・地政学的環境を踏まえながら今回のカンボジア、ヴェトナムでの経験を重ね合わせるなら、“熱帯への進軍”の姿がより明確に浮かんでくると考える。

 

ミャンマーの裏庭で起きていること

 雲南省は漢字1字で「滇」、一方のビルマ(現ミャンマー。以下、ミャンマーとする)は「緬甸」と表記するが、第2次大戦ではミャンマー全域から雲南省西部にかけての広大な戦場において、日本・中国・アメリカ・イギリスの間で激戦が展開された。これを滇緬戦争とも呼ぶが、雲南省西部、つまり滇西の要衝である芒市、龍陵、拉孟、騰越(現在は騰冲)などでは昭和19年(1944)に特に激戦が展開され、ことに最前線の拉孟では、「陸の硫黄島」とまで形容されるほどの死闘が繰り返された。

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