いま、阪神淡路大震災の教訓とは何か

執筆者:新野幸次郎2005年2月号

震災から十年を経た今年、「被災地の責務」を負った神戸が、世界に向けて被災と復興までの経験を「発信」する。 天災は文明の発達とともに進化する――物理学者にして文学者だった寺田寅彦は、昭和九年の随筆『天災と国防』でこう書いています。つまり、原始社会では人は簡素な家に住み、人口も密集しておらず、天災の被害もそれなりだが、社会が発展すると建物は高層になって人は無防備に集まり、天災の被害は何倍にも広がる。天災が多い日本は、そういう点に留意して町づくりをしなければならない。寺田寅彦は、そう指摘していたのです。 ところが、経済成長期の日本は先進国に追いつき追い越せとばかりに効率のみを優先してきたために、天災への備えを怠ってきた。その結果、高度に発達し人口の密集した都市が災害に見舞われた時にどれほど甚大な被害を出すことになったか――阪神淡路大震災は、その事実を我々に痛烈に突きつけたのです。 私が座長を務める阪神淡路大震災の「復興十年委員会」では、この一年半、防災から福祉、産業、文化、まちづくりなど様々な分野で、震災の教訓とは何であったのか、専門家や住民団体代表の意見を集約してまとめてきました。その結果、この十年間で何ができたのか、何ができなかったのか、そして今後に残された課題とは何であるのか、具体的な項目が数多く指摘されました。

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