メジャーリーガーの打撃を変えたある日本人の「哲学」

執筆者:ブラッド・レフトン2013年7月10日

 みなさんは、ジム・トーミというメジャーリーガーをご存じだろうか。アメリカの多くの野球ファンは、彼の2メートル・115キロの巨体を見て、「現代のベーブ・ルース」になぞらえる。2011年8月、トーミは通算600本塁打を達成し、ルースら栄えある「600本塁打クラブ」の仲間入りを果たした。最終的にはメジャー歴代7位の612本の記録を残し引退、つい先ごろ(7月2日)、シカゴ・ホワイトソックスのGM特別補佐に就任した。そのトーミの打撃技術が「メイド・イン・ジャパン」なのだと言ったら、あなたは疑問を発するだろう。「確かに最近は、アメリカからたくさんの選手がやってくるけど、そんな名前の選手は、日本にいたことがないぞ」と。しかし、この話は本当なのだ。トーミの技術は、あの王貞治選手のコーチを務めた日本人によって培われたものなのだから。

 

 直接、指導を受けたわけではない。だが、長年、トーミの打撃コーチ、そして時に監督をも務めたチャーリー・マニエル氏が、荒川博氏の影響を強く受け、そして、「トーミの中にも荒川さんの教えが宿っている」と語っているのだ。

 

「赤鬼」マニエル

 マニエル選手なら、憶えている人も多いだろう。そう、あの「赤鬼」マニエルだ。1976年から81年の6年間、日本のプロ野球に在籍(ヤクルト-近鉄-ヤクルト)。ヤクルトを初のリーグ優勝・日本一に、近鉄を2年連続のリーグ優勝に導いている。近鉄時代には2年連続ホームラン王やシーズンMVP(最優秀選手)にも輝いた。ロッテの投手・八木沢から顔にデッドボールを受け顎を骨折するも、たった14試合欠場しただけで手術後の痛みをこらえて戦列復帰し、顎を守るためアメリカンフットボールのフェイスマスク付きヘルメットをかぶって打席に立った勇姿を、いまも記憶しているファンは少なくないと聞く。「史上最強の助っ人列伝」の中に必ず加えられる強打者だ。そのマニエルが、来日初年の76年、ヤクルトの監督だった荒川氏から、たった1度の春季キャンプと、公式戦29試合の間だけ指導を受けた。それこそが、メジャーリーグ時代と日本時代を通じ、他の誰からよりも影響の大きい打撃指導だったのだと、今春、フロリダのキャンプ地で筆者に打ち明けてくれた。

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