富士の高嶺の国際化

執筆者:徳岡孝夫2013年7月16日

 誰も書かないし、また書く必要もないのだろうが、いま騒ぎになっている安愚楽牧場の社名は、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』(明治4-5年)から取ったのであろう。文明開化の先頭を切った文学である。

 まだチョンマケに二本差した武士が江戸の町を歩いていた。それが町人、職人たちと一つ座敷に座って、それまで禁忌だった牛鍋を突く。魯文は「御一新」直後の社会革命を、旧幕時代の戯文で描写している。「しからば左様」の時代は永遠に去った。

 

 似たような革命は、このほど21世紀の日本にも起った。御存じ富士山の世界文化遺産入りである。

 決まったのは日本時間で6月22日の午後5時半。夜のニュース・ショーまで時間はたっぷりある。新聞も朝刊の早版から間に合う。カンボジアは首都プノンペンの国際会議場で、富士山の登録が決まった。決まっただけでなく、三保の松原も含めて、とのオマケまで付いていた。

 ほぼ50年前のプノンペンしか知らぬ私は、富士山より、あの牧歌的な町に国際会議場が存在するのにびっくりした。会議をするのはいいが、会議終了後に各国ユネスコ委員をどこに泊めるのか。

 三保の松原を登録に含めよと主張したのがドイツ代表らしいと聞いて、私はさもあらんと少しく納得した。シューベルトの「冬の旅」に「泉に沿いて茂る菩提樹」がある。海辺に沿うて5万本の松が茂り、天女がその1本に薄衣を掛けたと聞いて、想像力を刺激されないドイツ人はいない。

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