『革命前後のロシア』芦田均著自由アジア社 1958年刊 一九一四年四月、二十六歳の日本青年がシベリア鉄道でロシアを横断、当時の露都ペテルブルクに向かった。その地の大使館で外交官補として勤務する目的で。勤務開始から三カ月半、欧州に大戦が勃発した。いまでこそそれを第一次大戦と呼ぶが、それはその二十五年後に「第二次」があったからこそだ。この大戦には帝制ロシアはドイツを敵として参戦、やがて日本も対独参戦した。その十年前の日露戦争の傷痕は蔽われ、いまや日露はドイツを敵とし、同じ側で戦ったのである。ために露都の対日感情は驚くほど好転、若い外交官補も仕事の仕甲斐があった。大戦という前例のない事態を、西欧(ロンドン、パリ)と東京の間の地点から凝視できたからである。 ところがなんとしたことか、全体で四年にわたった大戦は、ロシアに関する限り三年余で終ってしまった。一九一七年十一月の「十月革命」で帝制を廃止したロシアが戦線離脱したからだ。同年の初めからは、国際情勢だけでなくロシア内政からも目が離せなくなっていた。若い外交官補はその両面に眼を凝らす。「二月革命」、ニコライ二世の退位、皇帝一家の僻地監禁(やがて処刑)、ボリシェヴィキの政権掌握といった大波瀾を見届けたのを待っていたかのように、一九一七年大晦日、若い外交官補には帰国命令が出た。

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