ジンバブエ「最後のチャンス」だった総選挙

執筆者:平野克己2013年8月5日

 7月31日、ジンバブエで総選挙があった。大統領選には5人 が立候補したが、事実上、現職のムガベ大統領とチャンギライ首相の一騎打ちだった。

 前回の選挙は2008年にあった。このとき野党民主変革運動(MDC)のチャンギライがムガベ票を上回ったのだが、与党である民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)が徹底した弾圧策に出てMDC支持者200人あまりを殺害、チャンギライ自身も暴行されて決戦投票辞退に追い込まれた。その後事態収拾のため近隣諸国を中心とした国際調停が入り、ZANU-PFとMDCの連立政権ができたのである。

 

1997年の出来事

 私の最初の職場はジンバブエの日本大使館だった。初代の専門調査員として1984年に赴任し、3年間を過ごした国だ。

 1980年独立直後のムガベは、「ガチガチのマルキスト」という前評判とは異なり、穏便な政策運営だった。農相には白人を起用し、要の経済企画相には、国連開発計画(UNDP)高官を務めていた実務派国際官僚のジンバブエ黒人をあてた。当時のジンバブエは前身であるローデシアから継承した強力な経済を有し、南部アフリカ地域経済の要衝として、また、やがてくる南アフリカ民主化への導き手として、国際社会でもきわめて重視されていた。ちなみにムガベは、海部内閣最初の国賓として1989年に訪日している。

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