先日、フィナンシャルタイムズ紙に、「英国人らしさというのは、いまや何を指すのだろう」と問題提起した英国人コラムニストの記事があった。伝統的ないでたちの英国人紳士も、今どき少ない。かといってベッカムが英国の象徴というわけでもない。食の世界では、インド料理がもはや英国の売り物だ。 ブリュッセルとパリを一時間半で結ぶ特急の中で、この記事を読みながら、こうしたアイデンティティを正面きって模索できる「余裕」こそ、何よりイギリスらしい気がした。通貨もポンドのまま、言語も大陸と異なる。どんなに「国際的」な視野を持つ英国人でも、ポンドがユーロになるのは嫌だという。ポンドに対する感情は一種の信仰に近い。しかも、日本と同様、島国の大国という地理的な条件は、隣国で吹く風がどうあろうとも、直接にそのさざなみの影響を受けないで済む。 日本のポップスターは、人口が多い日本でヒットすれば、国内でのアルバム売り上げだけで相当な収入を得るからアジアツアーをする必然性がないが、アジアの他国のアーティストは、自国の売り上げだけでは限度があるため、デビュー当初からアジア戦略を念頭に置くと聞いたことがある。ベルギーのフランス語(ワロン語)圏作家も同様である。アメリー・ノートン、ジャン・フィリップ・トゥサンといった欧州のベストセラー作家は、皆、ブリュッセルに住みながらも、多くの読者を抱えるフランスの出版社から作品を発表している。こうした人たちは、自らのアイデンティティを、ベルギーという国家の枠にとらわれず、「フランス語圏」の中に見出そうとしている。

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