中国でギョーザ中毒事件の初公判が、起訴から3年が過ぎてようやく行なわれた。工場の元臨時職員という男性の被告が薬物の混入を認め、「待遇に不満があった」との動機を明らかにした。この裁判を日中関係の文脈でどう読み解くかについてはすでに新聞などのメディアでいろいろな分析が出ている。ここでは、中国において「裁判は一種のショーである」という別の視点から考えてみたい。

 

ブラックボックス

 中国で裁判と言えば、こんなイメージがある。初公判で裁判は終わり。弁論も証拠調べもない。数日後に判決が出されて死刑、そして即執行。最近、多少は改善されてきたとも言われているが、ギョーザ中毒事件の裁判を見る限り、基本的に「裁判は結果だけを見せればいい」という考え方で、判決が出るまでの証拠調べや弁論のプロセスがブラックボックスに入ったままである状況は変わっていない。

 中国のリベラルなニュース雑誌として知られる「南都週刊」が7月29日号の特集で、高官の汚職などの裁判を得意とする弁護士たちに取材し、そのブラックボックスの中身の一端を明らかにしていた。

 記事では、国営資源メジャー系の中国石油化工の総裁だった陳同海の巨額汚職事件を担当した高子程という弁護士が、こんな「秘話」を記者に語っている。

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