中国の代替国 ないわけでもない

執筆者:徳岡孝夫2005年6月号

 十三億人のユーザーが一日も早くマイカーを手に入れ、行きたいときに行きたい場所へ行けるようになる日の到来を待っている。自動車メーカーの社長や営業担当は、そう思うと夜もおちおち眠れないだろう。早く売らなきゃ他社が売る。 車だけではない。液晶テレビ、デジカメ、ケータイ、冷蔵庫その他のメーカー、またスーパーやコンビニ・チェーンの社長たちが、みな似たことを考えている。そのソロバンが鮮やかに目の前に見えるから、彼らはつい言いたくなる。「小泉はいつまでツマラヌことに固執するのか。靖国参拝しませんと誓ってしまえばいいではないか。なぜさっさとA級戦犯を分祀しない」 そういう言葉のウラに、中国の反日が本格的な日貨排斥運動まで行けばエライコッチャという恐怖がある。 だが残念ながら、彼らが見落としていることが一つある。それは中国の想像を絶する貧富の差である。予言めくがあの国は、まともに豊かにならない。数千万数億の収奪された下層の民が、「反日」よりもっと身近な目標に向かって石を投げ始める日が、きっと来る。 全部の卵を中国という一つの籠に入れるのは危ない。というわけでインドとのパイプを太くしようという動きが出てきた。インドはITではイイ線いってるそうである。しかし私の漠然とした感じでは、天竺と結んで唐との関係を薄めるのは、どうも話がデカすぎる。島国日本の力量に余るのではないか。

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