共青団と軍総参謀部の「蜜月」はなぜか

執筆者:藤田洋毅2005年7月号

胡錦濤の支持基盤・共産主義青年団と軍が急接近。そこに秘められた意味は――。「幾つかの重要施策が停滞を余儀なくされ、はなはだしきは延期せざるをえません。実に頭の痛いことです」 中国共産党中央の中堅幹部はぼやく。胡錦濤総書記が「スローガン先行だった『親民政策』に肉づけし、ようやく自分のカラーを打ち出す動きを速めようとした」矢先に、反日デモが吹き荒れた。対日強硬路線を掲げた江沢民前総書記とそのグループは隠然たる影響力を維持している。内外とも、胡は江の政策を否定するような「思いきった新政策を打ち出しにくくなっている」という。 まず、重要人事に影響が現れた。反日デモの前まで、複数の中国筋は、筋金入りの江側近にして上海市のトップ、陳良宇党委員会書記(政治局員)を天津市の党委書記に回す方向で調整中、と明言していた。胡派のエース格の一人である劉延東党中央統一戦線工作部部長が後任に就き、やはり胡派の韓正市長とともに上海を押さえる流れだった。胡は、中央の指令に従わない陳書記をまったく基盤のない天津に送り「孤立させようとした」のである。 陳には、江のライバルだった李瑞環前政治局常務委員の地盤である天津に対する「いじめ」の先頭に立ってきた来歴がある。李子飼いの張立昌天津市党委書記を中央党校の副校長にあてることにし、胡は自分の恩人の胡耀邦元総書記に近かった李に配慮した、と幹部らは受けとめた。

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