「なぜアメリカはエジプトへの援助を切らないのか」と批判する声は米国内にも国際社会にもある。しかしスエズ運河を押さえて、イスラエルとサウジアラビアに隣接し、この地域で格段に大きい人口を擁しているエジプトという国に影響力を行使することは非常に難しい。このことを感じ取るための最初の手掛かりとして、例えばこのインタビューを見るといいだろう。暫定政権のベブラーウィー首相は、ABCの看板キャスターであるマーサ・ラダッツのインタビューで、「忘れないでくれ。エジプトはロシアの軍事援助で数十年も生き延びた。命を取られるわけじゃない。状況が変わっても生きていける」と開き直った。

 これはまさに1950~60年代のナセル主義の外交政策で、ソ連と米国を天秤にかけて援助を両方から引き出した。イスラエルとの敵対関係が強まって米国から見切りをつけられるともっぱらソ連の影響圏に入ったが、東側陣営の武器でイスラエルと戦って連戦連敗した。辛うじて1973年の第4次中東戦争で緒戦の奇襲攻撃でシナイ半島の一区画を奪取し、それを「大勝利」として国民に宣伝してきた。国際的な戦史では第4次中東戦争はどう見てもイスラエル側の優勢勝ちであるが、エジプト国内ではエジプトが大勝利したことになっている。国民の多くは今もそれを信じている。サダトはこの「勝利」を根拠に戦争を終え、イスラエルとの和平、米陣営に転じる(ナセル主義を捨てる)アクロバティックな外交決断で、国際的にはヴィジョナリー的な傑出した指導者とされているが、国内的には裏切者と評判が悪く、1981年に暗殺された時も国民は冷めていた。

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