イラクでテロが慢性化している。標的は無防備な一般イラク人に定められ、軍や警察への求職者の列に爆弾を満載した自動車が突っ込む。警官や政府職員をその場で、あるいは連れ去った後に「処刑」する。 酸鼻の極みというべき現在の状況も、しかし、イラク近代史を繙いてみればそれほど異常に感じられなくなってくる。イラク政治の変動局面において、陰惨な暴力で社会を恐慌状態に陥れ人心を制圧しようとする「テロの政治」は、周期的に生じてきた。 イラクに特有の政治文化について、サダム・フセインの侍医を務めたアラ・バシールの回想録『裸の独裁者 サダム』(NHK出版)は、類書のない貴重なものである。一九三九年生まれのバシールは、有力者たちが示すふるまいを医師として逐一傍見してきた。バシールは著名な芸術家でもある。政変に際して動揺する社会の反応を鋭敏に感知して記している。イラクで政治が展開するリズムを体感するために恰好の素材である。 覆いがたく目につくのは、政権が代るたびに繰り返されてきた苛烈な報復である。一九五八年七月十四日、アブドルカリーム・カーセム准将(当時四十三歳)とアブドッサラーム・アーリフ大佐(当時三十六歳)の率いる「自由将校団」は、クーデタでイラク王制を打倒した。バシールは当時十九歳。群衆の中で、国王ファイサル二世と摂政アブドゥルイラーフ、首相ヌーリー・アッ=サイードの末路を目の当たりにする。

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