虎に跨って奔る中国に養虎遺患の嫌いあり

執筆者:徳岡孝夫2005年7月号

「あんたら、なんぼ金持ちか知らんけど、金持チ喧嘩セズでいくことないやろ。怒るべきときは怒らんかい!」JR西日本幹部を記者会見で怒鳴り上げた髭の社会部記者なら、そう叱咤するだろう。 日本の総理大臣に会う約束を、当日すっぽかして帰った中国副首相・呉儀の無礼は、国際社会の交際の常識から見て、意図して日本に侮辱を加えた行為である。怒るべきときに怒らなければ、国は国家として失格である。 隣の子供がキャッチボールしていて窓ガラスを割った。親に子供を叱ってくれと頼んだら「何ぬかす。おまえの祖父さんは悪いヤツだった。おまえはその霊を仏壇に祭って鉦を鳴らしておるだろう。まず謝れ。こっちは謝罪も弁償もせん」と突っぱねた。それで、御近所の交際が成り立つのか? 若いときから良心的な商売を売り物にしてきた洋平叔父さんが来て「先祖が先様に迷惑かけたんだ。もう仏壇の鉦を鳴らすのはおよし」と言う。要らざるお世話だ。自分の屋根の下で自分が何をしようと他人に干渉されたくないと、当主・純一郎は膨れている。 靖国神社に参拝して何の国益があるかと、日中友好を大事にする新聞は書く。だが損得の問題ではない。ソロバンに合うか合わないかで靖国へ行ったり行かなかったりするのは、エコノミック・アニマルの所業ではないか。利益になってもならなくても、祖霊を祭るのは人倫の基本である。

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