小倉昌男―墓碑には「稀代の経営者」

執筆者:喜文康隆2005年8月号

「では、経済騎士道の精神とは何か。それは、マーシャルによれば、企業家がその経済活動において卓越への願望を純粋に追求し、蓄積した富をすすんで公益のために提供するような態度を意味した」(根井雅弘『二十世紀の経済学』)     * 小倉昌男の死を六月三十日の午後に知った。享年八十。振り返ってみると彼の人生は、やるべきことをひとつひとつ積み上げ、遺すべきものは、言葉にして遺している。「風のように逝ったな」。妙にすがすがしい気分だった。 それが翌日以降、気分が変わった。「勲章欲しさに官僚の顔色を窺う経済人もいるが、小倉はもともと眼中にない」「官への反骨を貫く」「私財を提供して福祉財団をつくり、障害者の自立実現のために尽力した」……。 そんなステレオタイプな論評は、いつのまにか小倉が「経営者ではない何か」に、生きながら祀りあげられていたことを示している。 評価の原点はあくまでも、ヤマト運輸を宅急便で蘇生させた経営者としての能力に求めるべきなのだ。彼の反骨も無私の精神も、それなくしては決してあり得なかった。資本主義の限界を誰よりも深く知りつつ、資本主義を軽やかに乗りこなしたプラグマティックな手腕こそ語り継ぐべき第一ではないか。

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