古代の「情報戦」と「ネットワーク」

執筆者:関裕二2013年9月12日

 誇張やウソも、繰り返し唱え続ければ、やがて、それが真実になり、歴史になってしまう。これを放置しておけば、いちじるしく国益を損ねるし、一度定まってしまったイメージを覆すには、想像以上の労力を要する。「情報の力」を侮ってはなるまい。

日本書紀と壬申の乱

 情報操作や情報戦は、今に始まったことではない。古代でも、「情報」は、大きな意味を持っていた。たとえば歴史書(正史)の編纂も、極論すれば、情報操作を最大の目的としていた。

 中国では、新王朝が旧王朝の腐敗ぶりを糾弾し、世直しの正当性を証明しようとした。新王朝の正義を主張するために、誇張、改竄、捏造は、当然行なわれ、政権交代、王朝交代の正義が唱えられた。「勝てば官軍負ければ賊軍」である。

 日本でも、西暦720年に『日本書紀』が編纂され、藤原不比等を中心とする新政権は、前政権を主導していた蘇我氏を「大悪人」に仕立て上げることに成功している。蘇我氏は改革派だったのに、業績はすべて蘇我系皇族・聖徳太子に預けられ、聖徳太子の子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)と一族(上宮王家)を滅亡に追い込んだという説話を用意することで、「王家を蔑ろにした蘇我氏」のイメージは完成した。だからいまだに、蘇我氏は大悪人だったと、教科書に記されているわけだ。情報戦によって、千年以上にわたって、真実の歴史は封印されてしまったのである。

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