ポドレッツが守ろうとした中産階級文化

執筆者:会田弘継2005年8月号

 ネオコンの始祖とされる評論家ノーマン・ポドレッツ(一九三〇―)は、衝撃的に論争の地平を広げるだけでなく、その位相をも変えてしまう独特の批評力を持っていた。「明晰さとは勇気だ。勇気とは明晰さだ」 若き日のポドレッツの引き起こす論争は、必ず核心に切り込んでいった。その核心は、往々にして、時代の思潮に抑え付けられ知識人が目を背けようとしていることだった。 一九六七年。ベトナム反戦、麻薬による幻想などを賛美する反体制文化、新左翼運動が隆盛の時代。ポドレッツは、多くの知識人がアメリカ的なるものすべてに敵意を向けていた世相に対し、真正面からもっとも「陳腐」なアメリカの価値観をぶつけた。 カネ、権力、名声。これらを求める「成功欲」こそが、知識人さえも動かす「アメリカの現実」だと喝破してみせた。 小説に託すのでない。ひとごととして批評の対象にするのでもない。自叙伝として語ることで、ポドレッツは知識人としてアメリカを引き受ける覚悟を示した。 それが、『成功する』(一九六七)だ。 ラディカルから新保守へ転向していくポドレッツは、時代に向かってなぜこうした問いかけを行なったのか。ビート世代への痛烈な批判 初期のもうひとつの重要なエッセーが答えにヒントを与えてくれる。

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