『民間防衛』Zivilverteidigungスイス政府編原書房 1970年刊 一九八二年十一月、私はスイス・チューリッヒ市の「民間防衛局」をひとりで訪ね、市の中心部のウラニアにあるシェルター、つまり地下避難施設を見せてもらった。個人住居数戸単位のシェルターも見た。他の機会に、スウェーデンのストックホルムで、同国特有の岩盤層をくり抜いた巨大地下壕も見学したし、オーストリアや西ドイツでも類似の施設の設置事情を調べた。だが、チューリッヒの経験に優るものはなかった。それを一言で語れば、この世にかくも徹底したプラグマティズム(現実主義)があるのかという驚きだった。 単身でスイスのシェルターを見てやろうと考えた理由は二つ。一つは、前年に登場したレーガン米大統領の中距離核西欧配備方針――といっても、もともとそれは西欧側がカーター前政権に求めたものなのだが――が原因で、西欧諸国民が欧州限定核戦争の悪夢におののき、急速に反核、反レーガンへと傾斜していたこと。西欧が核戦争の舞台となるおそれがある場合、反核運動だけでよいのか。飛来するのは米国の核ではなく、ソ連の中距離核ミサイルなのだ。住民防護の対策はあるのか、ないのか。もう一つの理由は、スイス政府発行の『民間防衛』を読んでいたことである。同書でスイス政府は、たとえ核攻撃を受けても自国民が生き残る方策を固めておくことこそ政府の責務だ、と明言していた。

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