脱線したJR北海道

執筆者:徳岡孝夫2013年10月7日

 古い友達に電話して「ぼくらも鉄ちゃんだったなあ」と言ったら「アホ。そんな悠長なもんやない。正真正銘の鉄だったぞ」と叱られた。

 なるほど弱冠14歳の旧制中学3年生ではあったが、大阪駅北隣の鉄道省大阪鉄道局の講堂で佐藤栄作局長(戦後に総理大臣)から鉄道員の制服を貸与され、われわれは学徒動員令に基づく非正規雇用ながら鉄道員になった。

 冬近い一日の朝を思い出す。通勤途中に大阪駅で西成線(今の大阪環状線)に乗り換える。そのとき北陸本線の急行列車が駅に入ってきた。

 客車を引っ張る蒸気機関車。その巨大なクロガネの車体に山ほどある雪を載せ、しずしずとホームに入って来る。うわー、北国はもう雪か。

 戦争中だというのに、それは戦争も平和も超越する強烈な冬景色。堂々たる詩の1行に似た圧倒的偉容だった。

 

 いま鉄ちゃんが見たら、泣いて喜ぶ一瞬の風景だろう。だが当時の私は、機関車の威容に打たれるより先に、誇りが胸に湧くのを感じた。

 私の勤務先は安治川口用品庫であった。大阪鉄道局管内にレールや車輪をはじめ鉄道維持・管理・運行に必要な部品をネジ1本に至るまで収蔵、配送する大基地だったからである。「雪の北陸でも、ぼくの送った犬釘はレールをしっかり枕木に固定しているんだ」と思うと、大人の仲間入りをしたようで気持ちがよかった。

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