「最長の綱渡り」となった六カ国協議の内実

執筆者:草壁五郎2005年9月号

北朝鮮にとって、交渉は時間を稼ぐためのもの、あるいは譲歩を引き出すためのもの。ロングランの協議も、結局、かけひきに終始した。[北京発]七月二十六日から北京で十三カ月ぶりに開催された第四回六カ国協議。十三日間にも及んだ協議は一枚の共同文書も生み出せないまま、八月七日に休会に入った。各国は八月最終週に予定される協議再開まで二国間協議などの努力を続ける見通しだが、三週間で現状を劇的に打開するのは困難とみられている。そもそも米朝の立場の差があまりに大きいため、協議前から難航は必至とみられていた。 北朝鮮は今年二月十日に核保有を宣言し、六カ国協議への参加を無期限中断すると発表した。三月三十一日には、核保有国となったことを前提として六カ国協議が「軍縮会談」にならねばならないと主張。韓国情報筋によると、北朝鮮はこの日、寧辺の五千キロワット原子炉の使用済み核燃料棒の引き出しを開始した。 これ以降、北朝鮮の核問題に対する姿勢はそれまでの「北朝鮮が核廃棄をすれば、米国などが北の体制を保証し経済支援する」という「第一ステージ」から、北朝鮮の核保有を前提とする「第二ステージ」に入った。北朝鮮は「核兵器庫」を増やすと公言し、寧辺の原子炉から核燃料棒の引き出しを続け、五月十一日に八千本の使用済み核燃料棒の引き出しを終了したと発表、危機をエスカレートさせた。それに対して、米国は北朝鮮の高濃縮ウラン(HEU)による核兵器開発や人権問題を非難し、北朝鮮を圧迫していった。

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