前回では、離婚裁判とは、約1カ月おきに数十ページ以上もの書面で、お互いに主張し、反論し合うプロセスだということを説明した。そしてこうして積み上げられた書面の数々は簡単に電話帳数冊分になることが分かっていただけたと思う。 かつては愛した夫婦同士が、文書でお互いをこれでもかと罵り合うわけである。そこにあるのは、双方の金に対する愛情である。少しでもたくさん金を取りたい奥さんと、少しでも自分の金を守りたい夫との血みどろの法廷闘争である。 そんな夫婦も大変だが、犬も喰わない夫婦喧嘩を、1年以上も聞かせ続けられる裁判官も大変である。そして、家庭裁判所の裁判官は、こんな進行中の裁判をひとりで100-200件も抱えているのである。 日本の官僚は、昔ほどの輝きは失ってしまったが、現在でも、貧しくとも、優秀で勤勉である、と世界から評されているが、日本の裁判官も例外ではない。彼ら、彼女らは、労働基準法などお構いなしに、毎日残業続きである。週末も、この文書に書き起こされた、犬も喰わない、金欲まみれの夫婦の痴話喧嘩を読み続けるのである。 さて、裁判官の出世で何が大事かということを考えることは、裁判の趨勢を理解するために重要だろう。それは第一に年間の事件の処理件数である。そして処理というのには、当然、和解も含まれている。

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